■ 関川・矢代川のおもなこう水 (江戸〜平成)

月日 元号 こ う 水 の よ う す
1694 7. 17 元禄 7 矢代川があふれ、大きなひ害がでた。
1747 8.19 延享 4 矢代川があふれ、新井村(新井市)では、寺のお堂が流され親子が死んだ。
栗原村(新井市)がぜんめつした。
1761 8.22 宝暦11 関川があふれた。
1766
明和 3 関川・矢代川があふれ、大こう水になった。
1781 5.19 天明元 関川・矢代川があふれ、関川関所の橋が流され、いききができなくなる。
百々村・広島村(新井市)は船でいききした。
1783 7.9 天明 3 関川・矢代川は、ふだんの水かさより3メートルも高くなって大こう水になり、大きな被害がでた。
1789 7.23 寛政元 大風雨のため、川という川があふれ、矢代川では瀬端橋(瀬渡橋)が流されるなど大きなひ害がでた。
1796 8.4 寛政 8 関川の大こう水、十ケ字用水の堤防がやぶれ、
月岡・広島(新井市)と東木島・西木島・島田上新田・島田を中心に大きな被害がでた。
1848 10. 3 弘化 4 関川が大水となり、島田橋が流された。
1850 9. 7 嘉永 3 関川の大こう水で、東木島・西木島・島田上新田・島田・島田下新田・下箱井・五ケ所新田・岡原・丸山新田・下新田などで大きなひ害がでた。
高田藩は、米をかしつけて村人を助けた。
1859 7. 2 安政 6 大こう水があり、高田藩領では米がよくとれなかったため、
こまっていた人々に米1ぴょうずつあたえた。
1878 4.15 明治11 関川の大こう水で、上新田のつつみが流された。
1879 7. 6 明治12 大風雨のため、島田上新田で関川堤防がきれ、島田上新田・島田に大きなひ害がでた。
1882 8.17 明治15 大雨がふり、関川・矢代川があふれて、大きなひ害がでた。
1897 8. 5 明治30 大風雨のため、関川・矢代川があふれて、大きなひ害がでた。
島田のひ害は、つぎのようだった。
すなや石の入った田 : 25.4ヘクタール
どろ水の入った田 : 21ヘクタール
水をかぶった田 : 25.5ヘクタール
すなや石の入った畑 : 0.4ヘクタール
流された橋 : 1
やぶれた堤防の長さ : 450メートル
ひ害の金額 : 62,653円
1898 9. 7 明治31 矢代川のこう水で、川ぞいの村々に大きなひ害がでた。
栗原村では、
死者 : 5人
たおれたりつぶれたりした家 : 3けん
石の原となった田畑 : 13ヘクタール
米がとれなくなった田 : 23ヘクタール   のひ害がでた。
1905 7. 5 明治38 矢代川が大水となり、斐太村稲庭(新井市)で堤防がきれ、和田村は大きなひ害がでた。
1913 7. 大正 2 こう水のため、直江津・高田でおおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 167けん
こわれた堤防 : 58か所
流された橋 : 9か所
水につかった田畑 : 408ヘクタール
1914 8. 大正 3 こう水のため、直江津・高田でおおきなひ害がでた。
死んだ人 : 16人
水のはいった家 : 670けん
こわれた堤防 : 47か所
1931 7. 昭和 6 こう水のため、直江津・高田でおおきなひ害がでた。
死者 : 1人
水につかった田畑 : 636ヘクタール
1950 8. 昭和25 こう水のため、高田でおおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 2けん
水につかった田畑 : 50ヘキタール
1953 8. 昭和28 500メートルあまりにわたって堤防がきれるなど、こう水のため、おおきなひ害がでた。
1956
昭和31 300メートルにわたって堤防がきれるなど、こう水のため、高田でおおきなひ害がでた。
死者 : 1人
1958
昭和33 こう水のため、直江津・高田・新井でおおきなひ害がでた。
こわれた堤防 : 77か所
水につかった田畑 : 2,455ヘクタール
1964 7. 昭和39 こう水のため、直江津・高田・頸城郡でおおきなひ害がでた。
水につかった田畑 : 508ヘクタール
1965 9.17〜18 昭和40 台風24号によるこう水のため、直江津・高田でおおきなひ害がでた。
死者 : 1人
けがをした人 : 157人
水のはいった家 : 7,687けん
流された家 : 3けん
こわれた家 : 2けん
半分こわれた家 : 2けん
こわれた橋 : 50か所
こわれた堤防 : 89か所
こわれた道ろ : 160か所
がけくずれ : 20か所
水につかった田畑 : 2,391ヘクタール
1967 7. 13〜14 昭和42 こう水のため、おおきなひ害がでた。
ゆくえ不明になった人1人
水のはいった家 : 9けん
こわれた堤防 : 1か所
水につかった田畑 : 10ヘクタール
1967 8.14〜15 昭和42 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 345けん
流された橋 : 2か所
こわれた堤防 : 1か所
こわれた道ろ : 8か所
山くずれ : 7か所
1967 8.27〜28 昭和42 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 84けん
流された橋 : 1か所
1968 6.29〜30 昭和43 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 588けん
水につかった田畑 : 342ヘクタール
1969 8. 9 昭和44 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 1,224けん
水につかった田畑 : 1,099ヘクタール
国道で通れなくなった所 : 3か所
通れなくなった北陸線 : 26本
1970 8. 6〜 7 昭和45 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 114けん
水につかった田畑 : 40ヘクタール
1972 8. 3 昭和47 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 77けん
1972 8.21 昭和47 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 49けん
土砂くずれ : 3か所
1976 7. 昭和51 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 66けん
1981 8.23 昭和56 台風15号によるこう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 841けん
こわれた堤防 : 14か所
がけくずれ : 50か所
水につかった田畑 : 606ヘクタール
1982 9.11〜13 昭和57 台風18号によるこう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 3,305けん
こわれた堤防 : 7か所
こわれた橋 : 9か所
こわれた道ろ : 197か所
山くずれ : 28か所
水につかった田畑 : 733ヘクタール
水のはいった家 : 20けん
水につかった田畑 : 42ヘクタール
1984 7. 7〜13 昭和60 こう水のため、おおきなひ害がでた。
信越本線や道ろの通れなくなった所がたくさんあった。
死者 : 1人
水のはいった家 : 524けん
1995 7. 11 平成 7 こう水のため、おおきなひ害がでた。
水のはいった家 : 2,308けん
県道の交通止め : 4か所
市道のこわれた所 : 8か所
水につかった田畑 : 630ヘクタール

(『和田村誌』第11編天災地異『上越ふるさと事典』『平成7年7月11日集中豪雨災害の概要』による)
※「関川・矢代川などのおもなこう水(昭和〜平成)」は、関川・矢代川のほかに、保倉川・小黒川・桑曽根川など、他の川のこう水もふくまれています。

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