2.むかしをつたえるもの−(4)和田の寺
(4) 和田の寺 (7つ)
真光寺
真光寺は、浄土真宗の寺です。この寺は、はじめ下総国川辺庄磯部村(千葉県)にあった勝願寺の末寺でした。1503年(文亀3)、祐円という僧のとき富岡村にうつって、寺をたてました。浄祐という僧のときの1580年(天正8)に、いまの西木島にきたということです。
江戸時代の記ろくには、「1469年〜1486年(文明元年間)ころに、富岡村に新しく寺をたて、その後、木島村(西木島)にうつってきました。火事で古い記録などが焼けたので、むかしのことは、よくわかりません」と書かれているそうです。
寺は、1751年(宝暦元)には地震に、1882年(明治15)には火事の被害をうけています。今のたてものは、1891年(明治24)に、たてなおしたものだそうです。
寺の鐘は、1678年(延宝6)につくられています。つくった人は、土肥佐兵衛尉藤原宅次という人ですが、この鐘は、今はありません。
なお、勝願寺は、瑞泉寺(南本町3丁目)のことです。瑞泉寺は、はじめ勝願寺といい下総国にありました。その後、信濃国水内郡南条村(長野県)、出雲崎町(三島郡)とうつり、1661年(寛文元)に、今のところにうつってきたそうです。寺の名前を瑞泉寺とあらためたのは、善珍という僧のときからだということです。
浄念寺
浄念寺は、浄土真宗の寺です。この寺は、はじめ名立村(西頸城郡名立町)にあったそうですが、1628年(寛永5)、今のところにうつってきたと伝えられています。
火事で、古い記ろくなどが焼けてしまい、寺のむかしのことについては、よくわからないそうです。
江戸時代の記ろくには、「名立谷の東蒲生田村の西円寺
は、浄念寺のことでございます」と書いてあるそうです。いつのころか、西円寺から浄念寺と寺の名前がかわったようです。
西勤寺
西勤寺は、浄土真宗の寺です。ずっとむかしから、西勤寺といいました。
むかし、信濃国水内郡南堀村(長野県)に、長命寺という寺がありました。この寺に栄西という人がすんでいました。1570年(元亀元)に、石山本願寺(滋賀県石山)が、全国統一をめざす織田信長とたたかいをはじめると、栄西は、信者をつれてたたかいにでかけました。このたたかいは10年もの間つづきました。1580年(天正8)に、本願寺は信長の軍にやぶれ、寺は焼かれてしまいました。栄西は、13年の間、この石山にいたそうです。このたたかいで手がらをたてた栄西は、そのほうびとして仏像と西勤寺という寺の名前をもらい、長命寺にかえってきました。
ところが、弟の栄順が、長命寺のあとをついで、寺のしごとをしていました。そのため、1613年(慶長13)に栄西は寺を弟にゆずり、越後国沼川庄百川(西頸城郡能生町)にうつりました。その後、1618年(元和4)には駒沢にうつり、1644年(正保元)に島田上新田の今のところにうつってきたのだそうです。
江戸時代の記ろくには、「寺ができたのは、いつのころかはわかりませんが、信濃国水内郡南堀村の長命寺の末寺です」と書いてあるそうです。そして、今でも能生町の百川には、西勤寺屋敷という地名がのこっているそうです。
寺には、「南無阿弥陀仏」とほられた鐘がありました。1803年(享和3)6月、高田鍋屋町の孫助という人がつくったものです。重さは、80貫(やく300キログラム)、値段は36両でした。孫助は、「1803年から10年の間、この鐘の音がわるくなったり、傷ができたりしたら、無料でつくりなおします」というやくそくで、寺におさめたそうですが、この鐘は、今はありません。
入善寺
入善寺は、浄土真宗の寺です。1592年(文禄元)3月に、順誓という僧がひらいた寺だそうです。この記ろくのほか、寺のむかしのことについては、わからないということです。寺の鐘は、1755年(宝暦5)8月につくられていますが、この鐘は、今はありません。
また、この寺の早川諦観は、江戸時代、寺子屋をひらいて、近くの生徒に読み・書きなどをおしえていました。
長徳寺
長徳寺は、浄土真宗の寺です。1664年(寛文4)8月に、長徳寺という寺の名前になりました。この寺は、これより前は、三条町(三条市)にあったようです。器のうらに、「このうつわは、瑞泉寺の末寺である蒲原郡大面庄三条町の長徳寺の玄性のもちものです」といういみのことが書いてあるそうです。
寺の鐘は、1882年(明治15)7月につくられています。
明福寺
明福寺は、ずっとむかし、天台宗の本覚院といいました。古い記ろくが焼けてしまっているので、寺がどこにあったかは、わかりません。智円という僧のとき、浄土真宗となりました。
1478年(文明10)3月、箱井にきて、明福寺という名前になったそうです。鐘は、1797年(寛政9)6月につくられました。鐘をつくった人は、小熊武左衛門藤原安信という人だそうです。でも、この鐘は、今はありません。
妙行寺
妙行寺は、浄土真宗の寺です。1844年(弘化元)11月の火事で、古い記ろくが焼けてしまっているので、むかしのことについては、よくわからないそうです。
はじめ、妙行寺は、真言宗山寺三千坊の一つで妙行庵といいました。いつのころからか、寺にはすむ人もいなくなり、あれはてていました。そこへ、善空という僧がきて、あれた寺をなおし、1558年(永禄元)1月に、本願寺より妙行寺という名前をもらい、今に続いているのだそうです。寺の鐘は、高田に住んでいた山岸藤右衛門藤原成正という人が、1813年(文化10)10月につくったものだそうです。でも、この鐘は、今はありません。