(6) 高田市立和田小学校のころ

 和田村から高田市へ

     1955年(昭和30)2月1日、和田村は、高田市に合ぺいし、高田市立和田小学校に校名が変わりました。
 1950年(昭和25)、高田市は、まわりの村々との合ぺいを進めました。同じころ、新井町(今の妙高市:旧新井市)も、まわりの村々との合ぺいをすすめていました。
 和田村の人口は、このころ、6,600人あまりでした。村が高田市と新井町の中ほどにあるため、1954年(昭和29)5月5日には、高田市から、5月7日には、新井町からも合ぺいをもうしこまれました。村では、なん回も話し合いをかさねました。そして、9月10日には、つぎのようにきまりました。   

     国賀・月岡・栗原・柳井田は、新井町に合ぺいする。   

     木島・島田上新田・島田・上箱井・中箱井・島田下新田・下箱井・五ケ所新田・丸山新田・下新田・高田新田・荒町・脇野田・今泉・土合・七ケ所新田・石沢 ・寺町・西田中は、高田市に合ぺいする。

     広島・上百々は、時期をみて新井町へ編入する。

 

そして、11月1日、柳井田・栗原・月岡・国賀は、新井に合ぺいし、この日から新井市(現在 妙高市)となりました。1955年(昭和30)2月1日には、この4つをのぞいたほかのまちは、高田市になりました。同じ日、広島と上百々は、新井市になっています。


 校歌と校章

 1956年(昭和31)11月17日に、創立40周年記  念式がおこなわれました。そのとき、新しい校歌(小山直嗣作詞、小杉誠治作曲)と、校章がきまりました。この校歌が、みなさんの歌っている校歌です。そして、校章は、校旗の中央にえがかれています。