(7) 上越市立和田小学校
上越市になる
1971年(昭和46)4月29日、高田市と直江津市が合ぺいして、上越市がたん生しました。わたしたちの高田市立和田小学校も、上越市立和田小学校となりました。
では、新しい市の名前は、どうして「上越」にきまったのでしょうか。いろいろな人々のアンケートの結果から、上越・春日山・直江津・高田・越後などが考えられました。その中から、発展 するすがたにふさわしいもの、地いきのようすをあらわしているもの、だれにでも読んだり書いたりできて、したしまれるもの、ほかに似たような市の名前がないものなどの考えをもとに、市名選定審議会で話し合いました。そして、戦国時代のはじめから、越後の南側を上越後とよんでいたことをもとに、「上越」ときまりました。
焼山の爆発
1974年(昭和49)7月28日、焼山が爆発しました。
和田小学校では、ちょうど28日と29日が、5・6年生 の「親子ふれあいキャンプ」でした。笹ケ峰キャンプ場でキャンプをし、火打山登山をする計画をしていました。しかし、この爆発のため、登山は、中止になってしまいました。この爆発で、上越市内にも火山灰がふりました。そのため、7月28日から8月3日まで、子供たちが楽しみにしていたプールは、中止になってしまいました。
60周年のころ
1976年(昭和51)11月2日、上箱井に和田尋常高等小学校ができてから60年たったことをいわう「創立60周年記念式」がありました。そのころの学校のようすを、記念誌『六十年の歩み』からぬきだしてみましょう。
毎日通る道 3年 笠原さん
わたしは、毎日学校へかようとき、西木島の横を通る道を通って行ききします。この道は、島田上新田の子ども五人の通学道ろです。部落の人たちは、この道を学校線と、言っています。じゃり道で、はばもせまく、道のまん中には草もはえているし、少し遠いので、雨ふりのときなど、足や洋服もどろや雨でぬれて学校へ行くのがたいへんです。1年生の小さい人などは、泣きべそをかいてあるいています。(略)
冬になると、雪がふりつもってこの道も、雪にかくれてしまい、なくなってしまいます。雪分けの自動車が早く来てくれないので、部落の人たち三人でじゅん番に、朝早くから、かんじきで、わたしたちのために道をつけてくださいます。だから、前の日の夜に、雪がつもっても、朝学校へいくときには、ちゃんと、道がついています。しかし、ときどき、強
い風がふいて、ふぶきのときなどは、どうしても、道が、つかないことがあります。そのときは、とおまわりして、東木島を通って学校へいくこともあります。むかしは、島田線のバスが、通らなかったので、国道十八号線のバスをりようしました。そのころは、バスにのる人もいたので、おおぜいの人が、通ったそうですが、今は、小学生と、ほいくえんの子どもたちだけが、通る道になってしまいました。(略)
楽しい学校 4年 横田さん
(略)しゅう学旅行、運動会、プール、文化祭、まだまだ 小さい行事もたくさんあります。わたしは、行事の中で、一番好きな行事は、文化祭です。そのわけは、おかあさんたちが一日中あせを流して、いっしょうけんめい作った、うどん、おしるこを食べたり、全校の人が、作ったり書いたりしたものを、ひとつひとつ見る事が楽しいからです。(略)
鉄きん校しゃができる 
1980年(昭和55)9月、新しく鉄きんの校しゃをつくる工事がはじまりました。そして、1982年(昭和57)3月21日には、新しい校しゃへのひっこしも終わりました。5月10日には、古い木ぞう校しゃとのお別れの式もおこなわれ、11月6日には、新しい校しゃができたことをいわう式や、いわう会もおこなわれました。
1986年(昭和61)10月16日、和田尋常高等小学校 ができてから、70年たったことをいわう「創立70周年記 念式」がおこなわれました。鉄きんの校しゃができてから4年後のことです。
この記念式の児童代表のあいさつに、木ぞう校しゃから鉄きん校しゃへのうつりかわりが書かれています。
70周年をむかえて 児童代表 小池くん
ぼくがこの和田小学校に入学した時は、まだ木造の古い校舎でした。まわりには桜の木やほかの木がたくさん見られました。大変古い体育館が二つありました。
旧校舎でいちばん心に残っていることは、中庭のことです。池には、フナ、メダカ、ゲンゴロウなどがいて楽しく遊んだからです。冬になると、床のすき間から風が入ってきて寒く、ストーブであたたまってすごしたことも印象に残っています。でも、同じ寒さの中で、ぼくたちのおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんががまんしながら勉強してきたんだなあと思いました。
ぼくが2年生の時、新しい校舎ができて、旧校舎から新校舎へひっこしました。つくえやいす、ロッカーなどを運び、旧校舎をこわす時はなごりおしいような気もしましたが、そのおかげでとてもきれいな新校舎やりっぱな体育館、グランドができて、そこで勉強や運動ができるようになりました。今年、校舎の南がわにしばふができ、観さつ池もつくられました。旧校舎の時と同じように楽しく遊ぶこともできます。しばふも来年になればきれいになり、観さつ池の中には、フナ、メダカが入って楽しみながら勉強できると思うとうれしくなります。(略)
やわらぎ広場
1987年(昭和62)の春から1989年(平成元)にかけて、かんきょうせいびがおこなわれ、校ていは大きくかわりました。
このころの和田には、子供たちがたのしく安全に遊べる遊び場がありませんでした。先生方とPTAや後えん会のみなさんが話し合い、子供たちのために遊び場をつくることになりました。そし て、みんなで力を合わせて、土をはこび、大きなケヤキの木もうえました。大きなヒュームかんや、タイヤ、電しん柱がなん本もはこびこまれました。工事につかう大きな機械もうごいています。子供たちも、シャベルで土をほりおこし、一輪車で土をはこびました。このしごとは、なん日もなん日も続きました。ジャングルジムや雲ていなども、そなえつけられました。その後、ターザンロープやブランコなどもととのえられていきました。こうしてできあがったのが、「やわらぎ広場」です。これとあわせて、教材園やつつじベルト、ふれあいハウスなどもととのえられました。
岡原校から 120年
和田小学校は、1992年(平成4)10月17日、岡原校ができてから120年たったことをいわう記念式がおこなわれました。記念に、やわらぎの森や、金管鼓隊の楽器もととのえられました。 つぎの「児童よろこびのことば」(略)からは、これまでの伝統をたいせつにして、みんなで力を合わせ、いっそう明るくたのしい学校をきずいていきましょうという、つよい気もちが伝わってきます。